埼玉県東松山市出身。1955年、日本料理屋「坂本屋」の5代目として生を受け、店の跡継ぎとして育てられる。
文武両道を唱える両親の影響から、幼いころよりヴァイオリン、習字、そろばん、絵画を親しみ、柔道場にも足を運んだ。
高校時代は空手部、大学時代ではゴルフ部に所属。
高校3年生になったある日、順風満帆であった人生が一変。
当時、東松山市議会議長を務め、次期市長選挙に立候補の決意を固めていた父が病のため43歳で急逝。
悲痛の中、尊敬する父の志を受け継ぎ「東松山市長になる!」と決意する。
日本大学文理学部卒業後、東京都墨田区の向島料亭「櫻茶ヤ」、愛媛県砥部町の日本料理店「真砂家」にて修業。
29歳にして「料亭 坂本屋」を新築。代表取締役に就任し、「店はお客のためにある」を経営理念に事業展開。
32歳にして、東松山市議会議員選挙に立候補。多くの市民の支援を受け1期、2期ともにトップ当選する。
儒教の経書、四書の中にある「大学」の一説「修身・斉家・治国・平天下」(しゅうしん・せいか・ちこく・へいてんか)を
自らの理念に置く。
市議会では、厚生文教常任委員長、経済建設常任委員長、総務常任委員長、副議長を歴任。
35歳にして、(社)東松山青年会議所(現(社)比企青年会議所)第10代理事長に就任し、
埼玉ブロック会員大会、10周年記念式典、韓国安城青年会議所との姉妹締結など精力的に事業を展開。
39歳にして、多くの市民から推薦をいただき東松山市長選挙に立候補。
「東松山市長」に就任。
以来、3期無投票当選。4期16年間「生活重視・福祉優先」を基本方針として、
障害のある方もそうでない方も共に暮らしを分かち合い、
心豊かに安心して暮らすことのできる「ノーマライゼーション」のまちづくりを中心に行政運営を行う。
「ノーマライゼーションのまちづくり」について、小学6年生用の社会科教科書(東京書籍株式会社発行)に
「わたしたちの生活と政治」として10ページにわたり紹介される。
市長勇退後、財団法人日本体育協会日本スポーツ少年団本部長、 財団法人全日本スキー連盟副会長、 公益社団法人日本グラススキー協会顧問、学校法人武蔵丘短期大学客員教授等の要職につき精力的に活動を続ける。
| 生年月日 | 1955(昭和30)年1月30日 |
|---|---|
| 出身地 | 埼玉県東松山市 |
| 血液型 | O型 |
| 家族構成 | 母、妻、長男、嫁、孫、次男 |
| 好きな言葉 | 明るく元気にさわやかに |
| 趣味・特技 | スキー(正指導員)、ウエイトトレーニング、ジョギング、
海釣り、ボート(1級船舶免許)、 将棋(2段)、ギター、テナーサックス、空手、ボウリング、ゴルフなど |
| 座右の銘 | 修身・斉家・治国・平天下 |
| 尊敬する人物 | 父 |
| 好きな歌手 | 加山雄三、フランクシナトラ |
| 好きな食べ物 | ラーメン、餃子、炒飯、ステーキ、坂本屋のうな重 |
| 嫌いな食べ物 | すっぱい梅干 |
| 好きなお酒 | 何でもよく飲む |
| ひと言 | 自分のライフスタイルはスポーツが原動力 |