12月31日(水)、今日は大晦日。明日は元日。地元ケーブルテレビの「新年のご挨拶録画」も終了。
「一年はあっという間だ!」と思われる方が多いでしょう。私も毎年思います。以前ある先輩が年を重ねると、一年の長さは自分の年が分母になって感じる長さだとおっしゃっていました。すなわち、20歳の方は20分の一の長さで、70歳の方は70分の一の速さで一年が過ぎてしまうと感じるということです。私も最近になって「なるほど」と思います。
一年を振り返ると多くのことが思い出されます。年明けは街頭演説や新年会が連日続き、2月から衆議院予算委員会がスタート。早速NHKテレビ入りで教育委員会制度の抜本改革について安倍総理大臣と下村文部科学大臣に質問の機会を得ました。私は市長職を経験した観点から、教育行政の責任は首長に一元化して取り組むことができるよう法改正を行うように指摘し、教育委員会の廃止について質しました。
その後、文部科学委員会や青少年特別委員会などで質問を重ねながら、合間を縫っての駅立ちや街頭演説を繰り返し行いました。
休会となってからは、連日自転車をこいでの街頭演説の日々。党内の議員の中で最も日に焼けた夏でした。
そして、「維新の党」結党。10月からの臨時国会では「日本維新の会筆頭副幹事長」から「維新の党道州社会部会長」へと党の役職も変わりました。解散までの国会での日々は30本近い経済部会に関する法案の調査、議員意見交換そして取りまとめを行い、維新の党政務調査会で法案説明や問題点を説明する仕事に追われました。
11月、本会議場で「地方創生法案」に対する反対討論を維新の党を代表して行いました。その数日後、衆議院解散。青天の霹靂と感じながらも、夏にはスタートをしていた各地区自転車街頭演説や駅前街頭演説も200ヶ所を越えていました。
「大義なき解散総選挙」全身全霊で挑戦。得票数もアップし、逆風の中2期目の当選を果たさせていただきました。
そして「衆議院科学技術・イノベーション特別委員会委員長」に就任。この一年間は充実した、実りのある年でした。
しかし、国会も終了した日の翌日27日17時27分、私をいつも見守り応援してくれた妹の夫である「中村健 埼玉県議会議員」が逝去しました。真の兄弟同様に過ごさせていただいた多くの思い出は尽きることはありません。
一年が過ぎ、そして新たな一年が始まります。「往く道は精進にして 忍びて終わり悔いなし」と法蔵菩薩の言葉にあります。長かった闘病生活の中にも精進・忍耐をもって仕事を遂行し、入院を余儀なくされてからも、最後まで県議会に戻って県民の皆様のために仕事をしたいと願っていた故人でした。心からのご冥福をお祈り申し上げます。

12月26日(金)、今日は国会開会式が参議院本会議場で天皇陛下のご臨席を仰ぎ開催されました。私は特別委員会委員長として、国会正面玄関において各委員長とともに天皇陛下を奉迎・奉送申し上げました。
その後、農林水産委員会、予算委員会、そして私が委員長を務める科学技術イノベーション推進特別委員会が開かれました。今日は読売新聞に下記の通り掲載されました。
今日、科学技術の発展には大変目覚ましいものがあります。天然資源に乏しい我が国が、今後も、活力に満ちた豊かな社会を築いていくとともに、国際社会に積極的に貢献していくためには、創造性あふれる科学技術・イノベーションを推進していくことが不可欠です。
最近では、H―2Aロケット26号機による小惑星探査機「はやぶさ2」の打ち上げ成功や、ノーベル物理科学賞受賞など、各方面で我が国における科学技術の発展を示す快挙がなされています。
今後も我が国が積極的に国際社会への貢献を果たすためにも、科学技術・イノベーション、技術革新の活用を通じた戦略的な取り組みが、強く求められています。
このような中で、当委員会に課せられた使命はまことに重大です。今後とも活発な議論を積み重ね、国民の皆様の負託にこたえていけるよう、委員長として公正かつ円満な委員会の運営に努めてまいります!
(今日のひとこと30秒のメッセージです)

12月25日(木)、本会議。その後、衆議院科学技術・イノベーション推進特別委員会が開かれ私が委員長に就任しました。
衆議院には25の常任委員会・特別委員会がありますが、維新の党は2委員長のポスト枠しかありません。まさに、党から抜擢をいただき国会の要職を務めさせていただくこととなりました。
今日の新聞にも掲載されました。
そして、内閣府からの伝達事項。
「科学技術・イノベーション推進特別委員会」は平成23年1月24日に、科学技術・イノベーションの総合的な推進対策を樹立するため、委員40人よりなる委員会として新たに設置された委員会です。
主な課題としては
○総合科学技術・イノベーション会議と内閣府の司令塔機能強化
○新たな宇宙基本計画の策定
○第5期科学技術基本計画の策定
○科学技術人材の育成
○新たな研究開発法人制度の創設
等があげられます。
明日は天皇陛下のご臨席を仰ぎ、参議院議場において国会開会式が行われます。私は委員長の一人として、正面玄関で正装にてお迎えをさせていただきます。光栄な役職をいただき、重責をしっかり果してまいります!

12月24日(水)、国会初登院。
国会正面玄関が今日のこの日だけ開き、入ったところで自分の名前の入ったボードのスイッチを入れる。
受付で当選証書を示し、名刺を渡す。
職員にバッジをつけていただきセレモニーは終了。
玄関でテレビのインタビューを受けました。
今日の本会議は、議長選挙、副議長選挙、内閣総理大臣の指名選挙が行われました。議長には町村信孝議員が、副議長には川端達夫議員、内閣総理大臣委は安倍晋三議員が当選されました。会期は24日(水)~26日(金)の3日間です。明日は所属委員会等が決定されます。
また、昨夜の衆参両院総会において、役員改選が行われ、新たに橋下徹最高顧問、松井一郎顧問、江田憲司代表、松野頼久幹事長をはじめ新役員が決定しました。

12月23日(火)、今日は朝からご挨拶回り。
昼には「桃の木保育園クリスマスお遊戯会」に出席。
1歳の園児、2歳の園児と1年ごとでの演技の成長はめまぐるしい。
子どもたちの可能性は無限大。開会のご挨拶を行った代表園児は5分ほどの挨拶が的確なテンポで、一言の言い直しもなく、内容も申し分なく素晴らしいものでした。私は多くのスポーツ大会に出席させていただいていますが、緊張して言葉を忘れる方々も多く見うけます。それぞれ、緊張感の中で一所懸命に努力されることが価値のあることと思いますが、毎回聞く小さな園児の記憶力には驚かされます。小さな子の一年一年の成長を見て、私も一年一年の努力の結晶をしっかりと残さなければと感じました。

12月21日(日)、後援会の方々にご報告に伺う。
埼玉県10区小選挙区は鶴ヶ島市・坂戸市・東松山市・川島町・吉見町・滑川町・嵐山町・小川町・鳩山町・ときがわ町の3市7町。
短い選挙戦でしたが、多くの方々にお会いし、お願いのご挨拶を申し上げました。24日には国会も開会されます。そして数日後には新年を迎えます。お支えをいただいた方々に感謝し、ご挨拶にお伺いしています。
今回の「大義なき解散総選挙」は有権者のほぼ半数が棄権するという冷めきった選挙戦でした。まさに総理の読み通りであったかもしれません。しかし自民党と公明党の獲得議席数は、公示前より一つ多い325議席。民主党も11議席増やしたものの、維新の党は1議席の減と政局にはあまり変化はありません。お会いする方々からも「一体何のための選挙だったのでしょうか?」との声が多くあります。
選挙後、野党第一党の民主党も近く代表選挙があると報じられています。民主党の「自主再建」は新代表にとっては当然の方向性でしょう。それは維新の党も同様です。しかし政治に緊張感を与え自公政権に代わる選択肢を有権者に示すことは大切だと考えます。与党になりえる野党の再編に向け、私は先ずは「改革政党」としての我が党の存在価値をしっかりと示すべきと考えます。

12月20日(土)、今日は東京都千代田区霞が関にある総務省において当選証書の付与が行われ出席いたしました。
2年前の12月22日に、同講堂で式が行われました。思い返すとあっという間の2年間でしたが、この間、予算委員会に2年間在籍し、NHKテレビ放映のもとに総理大臣に3度の質問や20回に及ぶ質問を関係閣僚に対して委員会等で行いました。
また日本維新の会筆頭副幹事長、維新の党経済部会長として法案の取りまとめや党務などを、就任したての私が務めさせていただいた2年間でもありました。
2期目に就任させていただき確固たる自信と経験を持つことができました。24日には初登院。無我夢中で過ごした日々から、落ち着いて仕事ができる2期目へ進むことができ、全力で邁進してまいりたいと考えています。

12月19日(金)、今日も一日後援会の方々にご報告。
短期間の選挙戦だったのであっという間に終了してしまった感があります。
もっと日程的に時間があれば、多くの有権者の方々に参加していただいて、「国政討論会」など開催されれば良かったと考えます。
候補者たち今後の政策や日頃の活動報告、思いなどは選挙公報ビラやホームページ・ブログ・フェイスブックだけではなく、生の声を聞いていただく機会も必要です。あっという間の解散総選挙では、主に党首ばかりが目立ち、候補者の顔と考え方が有権者に伝わりません。
私は、この2年間で駅に立ちマイクを握り、まちかどに立って国政報告を繰り返し繰り返し行ってきました。これからも市・町民の皆様に私の活動状況と今後の政策をしっかりとお伝えしてまいりたいと存じます!

12月18日(木)、読売新聞に掲載されました。
今日も一日後援会ご挨拶。
後援会報を持ってのご挨拶でしたが、「おめでとうございます!」とのお言葉をいただき。
選挙前と選挙後は違う。10区小選挙区10市町で拮抗した戦いが支援者の方々には大きな勇気となってのお言葉だと感じます。皆さん、「次回は!!」との励ましをいただきました。
朝日新聞の全国世論調査によると、自民党が大勝した理由は「安倍首相の政策が評価されたから」を選んだ人は11%。「「野党に魅力がなかったから」を選んだ人は72%にのぼりました。今後、首相が進める政策については「期待の方が大きい」は31%で、「不安の方が大きい」の52%が上回りました。
今回の衆議院解散総選挙は、師走で投票率が低いことは当然予測され、党利党略の「大義のない解散」そのもの。自民党も民主党も維新の党も大きな議席変化が見られなかった選挙。何のための選挙なのか。しかし、私は得票率や惜敗率が上がり、選挙区の方々が次回の選挙にさらにやる気になっていただいたことに大きな意義を見出しています。
「国政は国民のためにこそある」。大きな組織はないけれど、「一市民・一町民」の皆様お一人お一人によって支えられて今があることを、肝に銘じて、堂々と真っ直ぐに日本の改革のために突き進んでまいります!


12月16日(火)、今日は一日支援者の方々にご報告。日頃からご指導ご鞭撻をいただいた上田清司埼玉県知事にもご報告。郷土の発展なくして国の繁栄はありません。埼玉県の国に対する様々な要望も、与野党一緒に行ってきたこともたくさんありました。元民主党衆議院議員として活躍された上田清司埼玉県知事。国政における野党のスタンスや質問の極意、さらに官僚の動かし方などをご示唆いただきました。
この度の選挙戦で私は得票を伸ばし、小選挙区では届かなかったものの、トータルの得票数は2年前より大幅に増加し北関東比例一位となり当選させていただきました。
今月の20日に当選証書授与式、24日に初登院、そして首相の選挙等が予定される旨の連絡がありました。緊張しながら衆議院本会議場の椅子に座った2年前の感慨を思い出します。

12月15日(月)、衆議院選挙2期目の当選を果たしていただきました。北関東ブロック比例1位での当選でした。初心に帰って郷土の発展、日本の繁栄のために身を粉にして働かせていただきます。
あっという間の選挙戦でしたが、お一人お一人、多くの方々に支えられそしてご支援をいただいてまいりました。
私のいただいた支援組織でもなく、団体でもない「ひとり」・「ひとり」の方々の積み重ねにあると存じています。企業献金や団体献金も頂かないのはしがらみや既得権益をつくらないこと。だからこそ私自信「身を切る改革」が断行できると確信しています。「国政は国民の皆様のためこそにある」。これからも市町村民の皆様の声をしっかり国政に届けてまいります!
翌日は東松山駅で朝のご報告をしました!

12月12日(土)、今日は一日街頭演説。
最終の街頭演説は、やはり東松山駅。
そして、東松山駅で帰宅の皆様をお出迎え。
長かったような、あっという間のような選挙戦も終了。大勢の方々にお世話になりました。
「党利党略」による解散総選挙。しかしさすがに与党に追い風を吹かせてしまうところが安倍総理。自民党が圧勝してしまうのは、野党が受け皿になっていないからか。2年間足らずの衆議院議員ではありましたが、なるほど、安倍総理が何を言っても国民のことは眼中にない、その党の代表たる方の戦略には怒りを覚えながらも感嘆せざるを得ない。
しかし私は「国政は国民のためにある」と固く信じています。必ず今回の解散の暴挙は総理がいずれ責任をとって退陣に追い込まれる日が来ると考えます。
近く必ず来る「政界再編」の渦の中で、私はしっかり国民の皆様の声を国政に届けていきたい。身を切る改革を持って!





12月8日(月)朝6時、小川町駅でのご挨拶。10区小選挙区では山並みに囲まれた美しい小京都といわれる町。朝の寒さは厳しいけれど、この時間に毎日通勤・通学される方々も大変だと思う。つま先から足の裏が凍るようにしびれてしまった。
その後、街頭演説。
午後からは行田邦子参議院議員が応援に駆け付けていただきました。
行田議員からは私の国会議員活動についてお話しをいただきました。
夜は鶴ヶ島駅東口でのご挨拶。相手陣営の方々が多く、自民党の組織は強固。しかし、私はたとえひとりでもそれが正義であってわが心の思うところであれば、信念を持って挑戦することが大切だと考えています。
「国政は国民のためにこそある!」厳しい選挙戦は終盤に入ります。


12月6日(土)、東松山市パークゴルフ大会が開催され、レクリエーション協会会長としてご挨拶。澄みきった青空のもと、盛大に開催されました。
今日は一日街頭演説。午後からは行田邦子参議院議員が駆けつけていただき、コラボで街頭演説。
先日は民主党小宮山泰子候補者と共にマイクを持って応援演説。生活の党松崎哲久北関東単独比例候補者も東松山市を「小選挙区は坂本祐之輔候補をお願いします!」と遊説カーから応援いただきました。
まさに政界再編の動きが始まっているように感じます。与党になりえる野党の結集を進め、今の国政に緊張感を持たせなければなりません。今回の解散のように党利党略で政治が行われていては、国民の皆様の声が政策に生かされることはありません。
今日も「古いしがらみ」や「既得権益」がないからこそ、わが身を削ってでも国政改革が断行できるのは、この10区小選挙区では、維新の党坂本祐之輔しかいないと訴えました。


12月4日(木)、今日は朝から若葉駅東口でのご挨拶。そして夜は西口で、一人でのご挨拶。大きな組織がないのですべて自分が中心。
選挙期間中は街頭演説をはじめ早朝から夜まであわただしく、一日があっという間に終わります。ブログを入れるのが精いっぱいの自分の時間。2年前の選挙の時よりも挨拶を交わす方や政策のことを聞かれる方も多く。お帰りになる方々を待つ数分間に、胸の中を走馬灯のようにこの2年間の月日が走り抜けます。


12月2日(火)、衆議院解散総選挙公示。朝、松山神社にて必勝祈願。そして東松山駅において出発式。衆議院としての2年間の実績が問われる選挙。
経済・社会の成熟化、少子高齢化、グローバル化など、今日の我が国を取り巻く環境は大きく変化しているにもかかわらず、政治や行政、財政などの我が国の基本的な仕組みや構造は変わっていません。
改革を妨げている既得権益やしがらみを断ち切って、国の新陳代謝をはかり、古くなった仕組みや構造を、現在の経済・社会に合わせて改革していかなければなりません。
〈身を切る改革・行政改革を断行します〉〈子育て教育政策の充実を実現します〉〈原発ゼロを目指します〉〈地方分権・道州制の推進を図ります〉
日本に夢を!坂本祐之輔は大きな組織を持たず、企業や団体の献金も受け取りません。それはしがらみや既得権益を断ち切ることによって、真に国民の皆様のための改革を断行できると確信しているからです。
この2年間、休みはほとんどすべて自転車をこいでの街頭演説や、支援者の方々を訪ね様々な声をお聞きしてきました。その声を私は必ず国政に届けることができます。13日間の選挙、皆様にしっかりと訴えてまいります!

11月29日(土)~12月1日(月)、各地区イベント参加や街頭演説、支援者へのご報告、そして新たなる挑戦の準備に追われた3日間。衆議院解散からあっという間に今日の日を迎えました。
『増税の前に 身を切る改革』。なぜ圧倒的な数と支持率を誇る政府与党が、野田前総理との約束であった衆議院定数削減を断行できなかったのでしょうか。ここにも党利党略があり、結局「決められない政治」が露呈してしまいました。
突然の解散総選挙。安倍総理の自己都合による「今のうち解散」です。
消費税10%の先送りは、維新の党が中心になり、いち早く11月4日に増税凍結法案を出しました。これに賛成すれば良かっただけで、わざわざ衆院選挙に700億円を費やすより、他にやることがあったのではないでしょうか。
この際、アベノミクスの「その先」を考える大事な機会となります。景気は急速に冷え込んでいます。物価は上がりサラリーマンの実質収入は下がっています。第一の矢、第二の矢が飛んでいるうちにやるべきことをやらず、今、アベノミクス全体が沈みつつあります。既得権益に斬り込み、実体経済を成長させる第三の矢が、掛け声だけに終わっているからです。
「岩盤規制をすべて打破する」「国会議員定数削減を必ず実行する」…安倍総理の「約束」の履行状況が問われる選挙です。「身を切る改革」「徹底行革」「既得権益とたたかう成長戦略」は、自民党にできるのか。それを断行してきた実績を持つのは誰なのか。
掛け声だけではない、「実のある改革」を維新の党は断行します!
